咒  無始被境埋   吉田一穂

 

霾〔つちふ〕る逆天の地、掌〔たなぞこ〕に占〔よむ〕で見析〔みさ〕くる地平線。
捜す薬草も無く、時劫〔じごふ〕の陥隙に石斧〔せきふ〕は埋れてゆく。

棘々〔そくそく〕と星を結晶させる白林〔びゃくりん〕の梢で、月が虧〔かけ〕ていつた……
骨を焙〔くべ〕て、雀の卵を温める。「鶴に孵〔な〕れ!」

 

 「詩は垂直の声であり、絶対者の言葉である」と云う吉田一穂(1898/明治31年—1973/昭和48年)の詩を横書きで記すことは云うまでもなく堪えがたい。それでもこうして記さずにはいられないのは、読めば読むほど、一穂の詩に惹かれていくからである。それは、一穂の詩が、ついに「詩とは何か」を尋ねる詩であるからだろう。「詩に道なく、救ひはない。イデエといふ不死病があるだけである!」
 一穂の第三詩集『稗子伝』は、1936年12月にボン書店から刊行された。1936年といえば、2・26事件が起きた年だが、一穂の生活は困窮していた。「そもそも生活とは何んであるか? 闘争か、苦艱か、この切なる一日の哀歓!」これは、第二詩集『故園の書』(1930年)に収められた散文詩「雲雀を揚げる夕」の一詩句であるが、『稗子伝』には「去る日、もはや米櫃に一粒の糧なしと妻の訴ふる、されど一合の米は現実の秤にして、易くは補ひ難けれ……」なるエピグラフをもつ「VENDANGE」という詩も収められている。
 だが、吉田一穂は勁く、凛としている。『稗子伝』の跋にいわく、「これは次著の鬼胎たるべき約をもつて編まれた稿本である」。「次著」とは、あの「白鳥」が収められることになる第四詩集『未来者』(1948年)を指すが、時間・空間・意志の三極からなる三行詩の極北に向かって、一穂はいささかも歩みをゆるめることはなかった。

 骨を焙て、雀の卵を温める。「鶴に孵れ!」

 「このヒュブリスの意識とクリティック(危機)の精神との交錯は、とりわけて、読者の胸を衝く」と吉田秀和は云う。(09.12.14 文責・岡田)

(註 「無始被境埋」はエピグラフであり、原詩では小さな文字で記されている)